早月尾根から剣岳

2012年8月25日〜8月28日
本田明義

 剣岳は遠い山だった。頂上直下のカニのタテバイ、ョコバイの岩場かあり、多くの登山者が順番待ちをする。さらに映画「点の記」でますます人気が上がり、人混みの苦手な私の頭からいつしか剣岳はどこかへ行ってしまっていた。
 ところがそれはこの5月によみがえった。蘇らせたのは氷河だった。剣岳の三ノ窓雪渓、小窓雪渓が、立山の御前沢雪渓とともに日本初の氷河として認められたという新聞記事である。
 見たいと思うと同時に、なんで21世紀にもなってやっと日本初なのかと考えた。しかし、三ノ窓・小窓雪渓について調べれば調べるほど、自分では行くことのできない場所であることが分かってきた。それなら一般ルートを辿って剣岳から、その場所を確かめようと思った。

 山行計画をたてたが、どうもうまくできない。1日目早く寝て、午前2時に車で出発。
近畿道、京滋バイパス、名神、北陸自動車道と乗り継いで立山ICでおり、午前7時に馬場島に着いた。7時30分、早月尾根を登り始める。人影はない。静かだ。高度差1600mを今日1日で登る。明日はさらに600m登り、剣岳の頂上2999mに達する。しかし、早月小屋までのルートは簡単、一本道。迷いようもない、悪場もない。コンパスにベアリング(目的地と北とのなす角度)をセットする。112度、それで終わり。ただただ体力勝負のルートだ。このルートは標高1000mからは200mごとに道標があり、目安になる。
 花をゆっくり観察し、写真を撮りながら午後2時半に早月小屋に到着した。約7時間かかった。さっそくテントを設営、500円也。水2リットル、800円也。小屋の主人から今年は雪が多いと聞く。天気とそれから2日日の行程を相談した。会に提出した計画では2日日、小屋より剣岳頂上までピストン、3日日小屋幕営場を出発、約4時間で馬場島まで降りるというものだった。
 小屋の主人日く「明日の調子を見て決めたらどうです。そのとき調子が悪ければ、改めて2日目の幕営の申し込みをすれば良いです。」「明日ヘリがくるのでテントはたたんで、パッキングするなら小屋で預かります」とのこと。天気は良さそうだし、荷も軽けれ、ば岩場も楽だろう。実際そうだった。翌朝「これは岩登りの経験がなければ怖いだろうな」と思いながら自分は楽しんでいた。雪渓が大きくて鎖が一部隠れている所もあったが、鎖のかわりの「ガバ」がたくさん岩壁にあり、おもしろかった。
 剣岳頂上に午前8時ごろ到着。快晴、360度の展望を楽しめた。北方稜線、八峰、長治郎谷、源治郎尾根、前剣と指呼することができた。お目当ての三ノ窓雪渓はもちろん見えない。八峰の裏側だ。小窓はもっと北側にある。大変なところだ。現代になってやっと氷何の確認ができたことに納得がいった。

 小屋へと帰る。着けば午前11時半だった。このままでは昼食のあと寝るだけになってしまう。馬場島へは地図タイムで約4時間の下り。荷が軽かったとはえ、すでに5時間半行動している。このあと昼食をとりパッキング。荷は当然重くなる。過去の経験から私は下りの苦手なことが分かっている。時間がかかる。でも山の幕営場へ行くのではなく、水道も電気も風呂まである馬場島野営場なら4時をすぎても5時を過ぎても明るいし、テント設営もできるだろうと考えた。歩行時間の長いものに挑戦するテャンスだ。リスクは少ないし。だが、パッキングに手間取った。12時半になった。標高2224mの小屋幕栄場から下り始める。
 午後2時、標高1800m地点。今はやりの「山岳ラン」の日帰り登山者とおぼしき人たちに次々と追い抜かれる。10リットルもないようなザックを背に貼り付けて、ダブルストックで疾風のように下ってい<。やがて今朝がた2600mぐらいのところですれ違った3人パーティにも追い抜かれた。足を、膝をできるだけ痛めないようにと慎重に歩を進める。ひょっとして到着は午後6時をまわるか。
 午後4時、標高1200m地点。樹林の中だが、まだまだ明るい。それにしても蒸し暑い。やがて道が平坦になり松尾平を通過中なのが分かる。まだこのあと平坦な道が続き、やがて急な下りになり、それが続くはずだ。うんざりしながら時計を見る。5時が近い。少々あせりながら、それでも慎重に足を運ぶ。やがて急坂になりさらに下り続けた。やっと早月登山口に到着。午後5時25分だった。くたくただった。下山メールをと思うが圏外だった。一気に気が抜けた。

 今回は山行計画時から迷いがあった。1泊目は早月小屋幕営場、2泊目をどうするか。同じく早月なのか、麓の馬場島なのか。実際は後者を選んだ、2日目の行動時間は約12時間、歩行時間は10時間を超えた。長丁場は良い経験になったが、計画書にはこの旨の予定にはふれていなかった。反省しています。

 なお今回の日本初の氷河についてはインターネットで、立山カルデラ砂防博物館所属の福井らの論文で詳しいことが分かります。学術論文ですが大丈夫、日本語です。


(本田)